NLPの歴史

NLP(神経言語プログラミング)は、1970年代中頃、
アメリカのカリフォルニア大学で言語学の助教授をしていた
ジョン・グリンダーと、同大学の心理学部の学生であった
リチャード・バンドラの二人によって開発されました。

当時のアメリカは、ベトナム帰還兵のPTSDによる心身の病が
深刻な社会問題になっていました。そうした中、ゲシュタルト療法の
フリッツ・パールズ博士、家族療法のバージニア・サティア、
催眠療法のミルトン・H・エリクソン博士の3人は大変優秀な
心理療法家として有名でした。

ジョン・グリンダーとリチャード・バンドラは、「3人の天才セラピスト」の
何が高い治療効果を生みだしているのかを研究しました。

3人は全く異なる治療スタイルを行っていましたが、
ジョン・グリンダーとリチャード・バンドラは3人のセラピーを
分析していくうちに、いくつかの共通点を発見し、それらを体系化することで
NLP(神経言語プログラミング)の基礎を築きあげました。

1980年には、ジョン・グリンダー、リチャード・バンドラ、
ロバート・ディルツ、ジュディス・ディロージャの4人の共著
「Neuro-Linguistic Programming vol.1」が出版され、
NLP(神経言語プログラミング)は世界に広く知られるようになりました。

4人は「NLP四天王」と呼ばれ、第1世代NLPを築きあげた人物として有名です。

1980年代後半になると、NLP(神経言語プログラミング)は進化して、
個人を対象として治療分野だけでなく、交渉、セールス、教育、健康面などの分野で、
他者とのコミュニケーションツールとしても活用されるようになりました。

信念、価値観、メタ・プログラムなどのより高いレベルの研究が行われ、
タイムライン、サブモダリティー、葛藤の統合、ディズニー戦略、
スイッシュパターンといったような、顕著なテクニックを
使用するものへと発展してきました。

1990年代以降、NLP(神経言語プログラミング)は更なる進化と発展をしていきます。
このころのNLP(神経言語プログラミング)は、システム全体的な見解を取り入れ、
アイデンティティ、ビジョンやミッションに関連する項目や相互作用、
自己啓発といったような、より高いレベルに着目するようになり、
適用範囲も、組織や文化などへと広げていきました。

このころ使用されたテクニックは、"第4のポジション"
いわゆる"We"ポジションとして知られているシステム全体的な見解を
"フィールドをベース"とした原則を取り入れるようになりました。

NLP(神経言語プログラミング)の前提の中で、mind、bodyにfieldを加え
The mind/body/field relationship is cybernetic:
a chang in one part of the system will affect other parts.

心と身体と場は相互に作用し、システムの一部の変化が他の部分に影響を与える。
として、心・身体・場の3つをシステム的にとらえるようになったことが、
1990年代以降NLPの特徴といえます。

1990年代以降NLPを代表する人物としては、タット・ジェイムズ、
ロバート・ディルツ、タマラ・アンドレアス、コニレイ・アンドレアスなどが
あげられます。

実は、日本で紹介されているNLP(神経言語プログラミング)
ほとんどが旧世代のもので、世界の最先端をいくNLPは、
日本ではあまり紹介されていないのが現状です。

タイムライン、サブモダリティーに関しては、下記をご覧ください。